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ベストな和食懐石

私にとってベストな和食懐石は。。。

ランチ

ご飯屋さんに行くと
ジャンル問わず
ランチの方がディナーよりも
お得だったりすることが多い

ラーメン屋、定食屋、カレー屋、ステーキ、洋食、和食などなど
ランチ限定メニューは意外にお得感があると思う

そして和食懐石ともなるとランチとディナーでは
倍以上価格が変わったりすることも結構ある

しかしながら「量」的にはさほど変わらず
料理の内容が変わるところも多い

そして和食も食材によって
特に高級食材ほど私は食べない!(笑)

なのでコース料理の価格が高ければ高いほど
食べれないものが多くなるということ(笑)

メニューをごっそり変えていただくのも気が引ける

私からしたら料金の高い懐石料理=食べないものが多い
=メニューを変えてもらえなければ=損をする

肉料理(肉懐石を含む)の和食になると
肉のグレードが変わることで
価格が高くなる所は問題はない

でもザ和食懐石になると
やっぱり「損」をする(泣)

これまでランチ、ディナーで
和食懐石を食べてきたけれど
最近気づいたことといえば

和食懐石を食べたい時は
一番安いまたは真ん中のコースで
ランチで行った方が一番安心して安定感がある

ということ!

残念ながらディナーオンリーの和食屋さんもあるので
その場合はディナーに行くことになるけれど(行きたければ)
和食懐石ランチをこれから色々と開拓していこうと思いました!

とはいうものの
総合的にはコースよりも
アラカルトの方が私的には嬉しい

自分が食べたいものだけを
選べばよいのだから(笑)

| たべもの | 12:54 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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土用の丑の日2020

土用の丑の日2020

https://shikinobi.com/doyounoushinohi
より一部抜粋

土用の丑の日とは?
まず、「土用」は立夏・立秋・立冬・立春直前の
約18日間の「期間」を示す言葉です。
そして、昔の暦では日にちを十二支(子・丑・寅・卯…)で数えていました。

つまり”土用の丑の日”とは、土用の期間におとずれる
丑の日の事を指しているのです。

土用は毎年違うので、土用の丑の日も毎年変わります。

さらに、土用の丑の日といえば夏のイメージが強いかもしれませんが、
下記にある通り年に何回かやってきます。
立夏・立秋・立冬・立春それぞれに土用があるので、納得ですね。

いずれにしても、土用の丑の日は「季節の変わり目」といえます。
ちなみに、土用の丑の日と土曜日とは関係がありません。

【2020年の土用の丑の日】
1月23日、4月16日、4月28日、7月21日、8月2日、10月25日、11月6日

2019年は夏に土用の丑の日が1回だけで、7月27日(土)が「一の丑」です。

そして2020年は夏に土用の丑の日が2回あります。
この場合は7月21日を「一の丑」、8月2日を「二の丑」と呼びます。

このように、1年に何回か土用の丑の日が訪れますが、
最近では土用の丑の日といえば夏というイメージではないでしょうか。

土用の丑の日にウナギを食べる意味

7世紀から8世紀に編纂された「万葉集」には、
下記のようなウナギを詠んだ歌があります。

石麻呂に吾れもの申す夏痩せに
よしといふものぞむなぎとり召せ
大伴家持

夏痩せにはむなぎ(ウナギ)を食べると良いと
石麻呂という人に勧めている歌です。
昔から体調を崩しやすい夏にはウナギを食べて
栄養をたっぷり摂ろうという考えがあったのですね。

いま土用の丑の日にウナギを食べるのも、
土用の丑の日は季節の変わり目にあたる為に
体調を崩しやすいので、合理的と言えます。

実際、ウナギにはビタミンAやビタミンB群など、
疲労回復や食欲増進に効果的な成分が多く含まれています。
夏バテ防止にはピッタリの食材いえるでしょう。

土用の丑の日、誰が決めた?

ウナギを食べる習慣が一般にも広まったのは1700年代後半、江戸時代でした。
一説によれば「夏に売り上げが落ちる」と
鰻屋から相談を受けた蘭学者の平賀源内が、店先に

「本日丑の日」
土用の丑の日うなぎの日
食すれば夏負けすることなし

という看板を立てたら大繁盛したことで、
ほかのウナギ屋もマネするようになったとか。
この「本日丑の日」は、日本初のコピーライティングともいわれています。

うなぎ以外の食材も良し

うどん
ウナギ以外には「う」のつく食べものがよいといわれています。
「丑(うし)の日」の「う」ですね。
例えば、うどん・ウリ・梅干し・ウサギ・馬肉(ウマ)・牛肉(ウシ)など。

いずれも栄養価が高い、または
食欲がなくても食べやすい食材ばかり。
平安時代から室町時代には
「めぐり」という水団(すいとん)や
小豆、ニンニクを食べていたと伝わっています。
食べて元気をつけよう!というのは、
時代に関係なく共通のようです。

ーーーーー以上ーーーーー

7/21と8/2にウナギを食べに行こう
と思って計画していたのですが
7/21はラーメンを食べてしまい食べに行けず(笑)

8/2こそは!と思ったのですが
スーパーでウナギが売られていてのをみて
8/2に鰻屋さんに行ったら混んでるのではないだろうか?!
と思い暑いのに待つのは嫌と思って
フライング鰻を本日してまいりました(笑)


今や牛丼チェーン店でうな丼やうな重をおいてあるので
そちらでもよかったのですが(いつもならそうしています)
鰻屋さんなんて滅多に行かないから
今年は自力で行ってみようと思って(笑)

https://tabelog.com/hyogo/A2801/A280102/28005727/
開店時間10分後ぐらいに行ったら先客が2名
そして私が3人目でその後女性が1人入ってきました。

うな丼(1300円) vs うなぎ定食(1500円)
口コミを見ていてうなぎ定食にしました。

うなぎ専門店(関西風)で食べるからか美味しく感じました(笑)
タレもほどよくかけ放題でたっぷりかけていただきました。
小鉢、お吸い物、漬物、ご飯、うなぎとあり
うなぎはご飯の上に乗せてもらいました。

流石に安かった(コスパ良し)のでうなぎは少なめでしたが
まあ食べれたことに変わりはないので良かったです。

うなぎは好きというか食べれるのだけれど
あなごは美味しいと思わないので食べません。

たま〜んお鮨屋さんで出てきてしまったら食べますが
自発的には食べない食材!

今日の前にウナギを食べたのは鳥取でした!
その時のうなぎは個室でいただきましたが
量もしっかりあってめちゃくちゃ美味しかったです☆

皆様も夏バテしないように気をつけてくださいね!

| たべもの | 14:58 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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車椅子のラーメン店主

https://news.yahoo.co.jp/feature/1772
より全文抜粋


6月の頭、暖簾をくぐって引き戸を開けると、
コの字形の厨房の中に約2カ月ぶりに見る坂内淳(46)の姿があった。

「いらっしゃい」

マスク越しの顔が微笑む。

券売機で購入した「淳陛屋特製塩SOBA(全部のせ)」の券を渡すと、
さっそく車いすの上半身をせわしなく動かしながら支度に取りかかった。

「どうですか」
「いやあ2カ月なのに、体がラーメンの作り方をちょっと忘れてて戸惑いました」
と、坂内が笑う。

そんな話をしているうちに、次々と暖簾をくぐって客たちが入りだした。

坂内に「お久しぶり!」と声を掛ける客もいる。

坂内もどの客にも「いらっしゃいませ」と声を出す。
新型コロナウイルスに支配された生活から一歩抜けようとする、
新しい掛け声のようだ。

坂内がここ東京・亀有にラーメン店
「麺屋 淳陛屋(じゅんぺいや)」を開いたのは2018年11月のこと。
恐らく全国唯一、史上初の車いすのラーメン店主として注目を集めた。
そこに至るまでの苦労は並大抵のものではなかった。

勤務初日の事故で脊椎を損傷

前が見えないくらいひどい雨が降った夜だった、と坂内は覚えている。
高校卒業後に就職した地元デパートでの勤務初日。
その夜、坂内の歓迎会が予定されていたが、出発の時間を少し過ぎていた。

激しい雨の中、先輩が運転する車に乗り込むと、車は急発進した。
ワイパーで拭っても拭ってもフロントガラスを覆う雨粒、濡れた路面、
遅れを取り戻すために出したスピード。
S字カーブで車はスリップして回転し、ガードレールに衝突した。
坂内の下半身は車のシートと電信柱に挟まれた。
脊椎を損傷する大怪我を負った。

自分の脚では一生立てないと医師から宣告されたのは、
手術後にリハビリ病院へ転院する直前だった。
両親はもっと前から知っていたがずっと黙っていた。

「車いすの生活と言われて、その日から毎日、自殺を考えていました。
でも首をつろうとしても立てないんです」

1年の入院生活の後、引きこもり生活が3年続いたという。

「事故の前の自分を知っている人に、
もうこの人はダメなんだって思われたくなかった」

外に出るきっかけを作ってくれたのが、
坂内が当時付き合っていた女性だった。

女性は無理やり坂内をドライブに連れ出した。
行き先は東京・新宿にある伊勢丹メンズ館。
二人がよくデートした場所だった。
到着してもそこの駐車場で、車から降りる降りないで3時間も彼女と揉めた。
ようやく乗ったエレベーターでも坂内はうつむいたまま。
だがドアが開いた瞬間、好きなブランドの「Paul Smith」の看板が
「ほんとうに輝いて見えたんです」。

ラーメンの道を志す

それから坂内は積極的に外に出るようになり、
普通に会社で働くこともできるようになった。

しかしそうなってくると、だんだん、
生来の社交的な性格が頭をもたげてきて、
オフィスワークでは物足りなくなってきた。

もともと接客業と食べ歩きが好きで、
将来は漠然と飲食店をやってみたいという希望があった。
高校を出てすぐデパートに勤めたのもそういう理由からだった。
人気のラーメン店に車いすで3時間並んだこともある。

「ラーメン屋をやれないだろうか」

漠然とそう考えだしたとき、縁あって
地元・栃木の焼き鳥チェーン店で働く機会を得た。
初めての飲食店勤めで、鶏を扱うのが良かった。
そのころには鶏ガラのラーメンスープの店を考えていて、
鶏の扱いの勉強になると考えたからだ。

受け入れてくれた調理師専門学校

焼き鳥チェーン店の社長は車いす利用者に理解があり、坂内を歓迎してくれた。
居心地が良くてそこで6年間、36歳まで働いた。
だが、自分がやりたいのはやはりラーメン店だ。

焼き鳥チェーン店を辞めて、
今度は調理の基本を学ぼうと地元の調理師専門学校の扉を叩いた。
だが県内に3校あるうちの2校で断られた。
ここがダメならもう諦めるしかない、
と電話をした三つ目の学校で
「うちは入学希望者のための無料の講習会が年に30回あるから、
まずそれに出てください。
その様子で入学を認めるか考えます」と条件を出された。
3回目の講習を終えたとき、校長から
「学校でやっていけるのがわかった。入学を許可します」と言ってもらえた。
坂内はもちろん喜んだが、乗りかかった船という気持ちもあり、
予定通り30回の講習会に全て出た。
それがのちの学校生活で大いに役立つことになる。

その調理師学校、TBC学院小山校(栃木県小山市)の
西洋料理専門調理師の岡本実(68)は最初の講習会で坂内に志望動機を尋ねた。
坂内は岡本の目を真っすぐ見て「料理で人を喜ばせたいんです」と答えた。

「もし曖昧な動機なら『やめなさい』と言うつもりでした。
やはり車椅子での調理は危険が伴いますから。
講習会に参加する人は『人から勧められて』とか
『なんとなく面白そうだから』という人が意外と多いんです。
だから彼の真っすぐな視線はとても印象に残りました」

3回目の講習会後に入学の許可が下りたのは、
岡本の校長への強い勧めがあったからでもある。

「彼は頑張っているし、これからは障がいを持つ人にもそういう道を開くべきだ」
岡本はそう主張したという。

学校の建物が以前は病院で、玄関先の階段に
車いす用の小さなリフトを備えてあったのも幸いした。
だがそのリフトを動かすには、事務室にある鍵が必要だ。
岡本は自分がその都度鍵を持って迎えに行くつもりだったが、坂内から断られた。

「そうは言っても、リフトはどうするんだろう」。
岡本は不思議がった。坂内は実際に毎日通学してくる。
ある日、窓から玄関を見ていてその「謎」が解けた。
坂内が玄関先の階段まで来ると、
付近にいた生徒が事務室まで鍵を取りに行っていた。
それも1人や2人ではなかった。
種明かしを坂内が笑いながらしてくれた。

「僕は30回講習会に参加したじゃないですか。
そこで友だちがけっこうできて、
入学した時点ですでに友人がたくさんいたんです。
彼らがみんな手伝ってくれました」

「ひとつずつ上達していったタイプ」

どの授業でも坂内は熱心に取り組んでいた、
と岡本は嬉しそうな顔で話す。
この学校で教えて22年、数多くの生徒を料理業界に送り込んできた。
社会に出て伸びる料理人の特徴を尋ねると、
「難しいですね」と少し考えてから、
「やはりなんでも熱心な人でしょうか」と語った。
当たり前の答えのようだが、ちゃんと理屈があった。

「学校に入ったときは、包丁使いが下手でも構わないんです。
試験を追試でやっと合格という生徒が、
就職して活躍する例はいくらでもあります。
彼らは下手でも練習を繰り返して上達した経験を持つ、これが大事なんです。
社会に出てもずっと勉強が続きます。
繰り返し練習して技術を会得した経験はそこで生きる。
坂内君も一個一個の人。
ひとつずつ上達していったタイプですよ」

岡本は坂内が店をオープンしたあと、
栃木から亀有まで車を走らせて食べに行ったことがある。
その日はたまたまアルバイトがおらず、坂内がひとりで店を回していた。

「その姿を見て、これはすごいなと思いましたね。
やっぱり坂内君のラーメンに懸ける情熱は嘘じゃなかったと思いました」

特製醤油を食べた。
他の客にはない、岡本の胸だけに去来するものがあった。

「ほんとに胸が詰まる想いがしました。
いつも笑顔でやってましたけれど、
つらいこともいっぱいあったんだろうなって。
でもその笑顔を見て、同じような境遇の人が
彼の後を追ってどんどんこの世界に来るんだろうなって……
なんかもうね、そう思うとね、彼にもこんな話をしたことはないんだけれど……」

岡本はそこで黙り込み、
「彼みたいな人に会えたのは私の財産ですね」
と震える声で付け加えた。


「師匠」との出会い
1年で専門学校を卒業後、
少しだけラーメンチェーン店の製麺部で働いたが、
スープの部門で働きたいと言うと
「車椅子の人は危ないから」と断られて辞めた。
それから病院で事務の仕事をしながら次の修業先を探したが、
受け入れてくれる店も人もいない。

「車いすでラーメン店をやるなんて前例がないとよく言われたんですけれど、
だからこそ、自分が先陣を切ってやりたかった。
車椅子だろうがなんだろうが自分がやりたいことに挑戦したほうがいいよっていう、
道しるべになりたいと強く思うようになっていったんです」

「いっそ修業を諦めて独立しよう」と考えて辞表を出した。
すると坂内の希望がラーメン屋と知った病院の上司が
「いきなり開業って、不安だろう。俺が人を紹介してやるから」
とある人物の連絡先をくれた。

それがラーメン店「13湯麺(かずさんとんみん)」店主、松井一之(66)だった。
松井は「千葉ラーメン四天王」のひとりと謳われ、
多くの弟子も育ててきた名人である。
現在は千葉・松戸に5席の小さなラーメン店を営み、年に数回、
趣味であるサンバの勉強のためブラジルに長期間渡る生活をしている。

こちらが「お弟子さんの坂内さんの件で……」と切り出すと
「弟子じゃねえよ!」と強い口調で切り返す。
一方で写真を撮ろうとするとサンバを踊り出す。
怖いのか面白いのかわからない人物だ。

坂内も当然、松井の名前は知っていた。
初対面で「お前、ラーメン屋やんのか」とだけ聞かれた。
「はい」と答えると、松井は坂内の顔をじっと見つめて
「よし、明日からうちに来い」とだけ言った。

「車いすは気にならなかったですか」と当時のことを松井に尋ねると
「いや、大丈夫だよ」「どのあたりで大丈夫とか」「話せばわかるよ」。
「でも……」と言いつのろうとすると、松井は面倒臭そうに手を振った。
「そいつが一生懸命なのかどうか、ちょっと話せば伝わってくるんだよ。
俺はいっぱい弟子を育てているから。いい加減な奴は伝わってこない。
車椅子だろうがなんだろうが、問題ない」
松井が坂内のことを「弟子ではない」と否定してみせたのは、
ある種の韜晦、照れ隠しのようなものかもしれない。
松井は坂内に並々ならぬ情熱でラーメンを教えていたからだ。
たとえば坂内の参考にするために、全国の弟子たちに
「車いすでラーメン屋やってる奴知らないか」と問い合わせていた。
いないとわかると、坂内を台湾に連れていった。
「突然電話で『お前、パスポート取れ』と言われて驚きました。
台湾で座ったままラーメンを作る店があって、
そこの見学に行きました」(坂内)

またあるときは坂内が「スープの作り方を教えてほしい」と言うと、電話をかけだした。
相手はある有名なラーメンコンサルタント。
そこで教わってこい、ということだった。
坂内の耳にも向こうとのやりとりが聞こえてきた。
「うちは入り口に階段があるから車いすの人は無理ですよ」
「スロープ造ってやれよ」「そんな! 費用もけっこうかかるんですよ」
「いいじゃねえか、俺の顔を立ててくれよ」

メチャメチャなやりとりだが、結局本当にスロープは造られて、
坂内はスープ作りを教わることができた。
坂内の店のレイアウトを変えさせたのも松井だ。
当初、坂内は客席から簡単に見えない厨房を想定していたという。
だがオープン前に視察した松井が
「お前が一生懸命ラーメンを作っているところを
お客さんに見てもらうことも大事なんだ」
と、客席から厨房が見えるように変えさせた。

「いまどきうまいラーメンなんか小学生でも作れるんだよ。
プロが作ってお金をもらうには、ラーメンの丼のなかに自分の想いとか、
人生が入っていないといけない。そこを隠してどうすんのか」

「キッチンが丸見えだから、いい加減な仕事はできない。
時間はかかってもいいから、一杯一杯、丁寧に作りなさいと奴には言った。
たとえば1日100杯のラーメンのうちひとつ失敗したとして、
作る側からしたら100分の1、1%の失敗だけど、
食べる側からしたらそれが店の100%なんだよ。
大切なお客さんに食べてもらうものだから、
どれもちゃんと作らないといけない」

師匠の教えを守る

その松井の教えは、たしかに守られていた。
客がいる営業時間中に店を訪れた。
券売機で買った券をテーブルに置いて、待つこと10分、15分、まだラーメンが来ない。
それどころか先客のところにも来ていない。
クレームが出るのではとヒヤヒヤしていたが、
客側は携帯を見つめるなど気にもしていないふうだった。
その間坂内は麺を茹で、丼にスープを張り、
トッピングを載せることまでひとりでやっていた。
「チャーシューを一枚ずつ巻いてトッピングしていくと、
どうしても時間がかかるんです」

坂内が使っているのはローズ色の柔らかい
「レアチャーシュー」と呼ばれるものだ。
「お客さんから、普通の硬いチャーシューを使えば
アルバイトさんでもトッピングできるのではと言われたことがあります。
でも私はレアチャーシューにこだわりたいんですよ」
それに、と坂内は言った。
「一杯ずつ丁寧に作りなさい、
という師匠の教えが私の胸に刻まれています。
時間がかかることは、お客さんも分かってくださっています」

オープン当初は客足が伸び悩んだが、徐々に味の良さが口コミで広がった。
さっぱりした、鶏ガラ出汁をメインにした昔ながらの
「中華そば」風のスープと、トレンドのレアチャーシューの組み合わせは、
ラーメンファンから「ネオ・クラシック」とも評されるという。

常連客もできて土日に出ていく丼の数が2倍に増えて
軌道に乗り出したタイミングでの、新型コロナウイルスだった。
坂内は悩んだすえ、4月12日から休業を選んだ。

「経営的には痛かったです。
でも休んでいる間に醤油だれをバーションアップする研究など、
ラーメンと向き合うことができました。
この休みは無駄ではない、と思わせるラーメンを作りたい」

坂内は取材中ことあるごとに「僕は本当に人に恵まれました」と感謝する。
調理師学校の岡本、師匠の松井、坂内のために手を差し出した人は他にも大勢いる。
だがそれは「恵まれる」という偶然なのか。
坂内の情熱に打たれ、むしろ「車いすのラーメン店」
へ向け一緒に夢中になったのではないか。
坂内が知らず知らず巻き込んでいた気がしてならない。

初めて坂内の店を訪れたときのことだ。
取材が延びて夜の営業の開始時間を20分ほど過ぎてしまった。
店の扉を開けて表に出ると、ひとりの男性が路上にたたずんでいた。
男性は坂内が「営業中」の札を掛けるのを見て、店内に吸い込まれていった。
寒い中、他に店はいくらでもあるだろう。
でも客はずっと路上で待っていた。
そうしてでも食べたいラーメンが、ここにはある。

ーーーーー以上ーーーーー

ラーメンも十人十色

作る人が変わっただけで
同じお店でも味が変わる

美味しい
美味しくない
普通

如何様にも変化する

スープも作り方ひとつ
麺も茹でかたひとつ
ブレないラーメン屋さんは
本当にすごいと思う

そんな中車椅子のラーメン店長なんて
前例のないものを作られた坂内さんは
とても素晴らしい人だ☆

障がいのもいろいろな種類がある
身体、精神、発達、知的、学習

どんな障がいがあっても
情熱や想いがあればできないと言われていることも
可能になることだってもちろんある

それを現実に実現した坂内さんには
真心のこもったラーメンをこれからも作り続けて欲しい

| たべもの | 09:30 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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土用の丑(うし)

https://news.yahoo.co.jp/articles/4e2f3850a6e1c908e87a12f47555385a433bdc48
より全文抜粋


きょう7月21日は「土用の丑(うし)の日」です。

うなぎ料理専門店に行くと、お品書きに
「うな丼」「うな重」の両方が書かれていることがありますが、
ご飯の上にうなぎがのっている点は同じであるにもかかわらず、
なぜか呼び方が違います。

「うな丼」「うな重」は何が違うのでしょうか。
器が「丼」か「お重」かの違いでしょうか。
料理研究家で管理栄養士の関口絢子さんに聞きました。

「うな丼」起源は芝居小屋の食事?
Q.昔から、「うな丼」と「うな重」が存在したのでしょうか。
それぞれ、どのようなきっかけから生まれたのですか。

関口さん「『うな丼』の由来は諸説あるようですが、
江戸時代末期に刊行された随筆『俗事百工起源』によると、
文化年中(1804~18年)の頃、堺町(現在の東京・人形町)の
芝居小屋『中村座』のスポンサー、大久保今助が、
かば焼きが冷めないようにと、丼飯の間に挟んで
芝居小屋に届けさせたものが始まりのようです。

『俗事百工起源』には『うなぎ飯』の起源と書かれていますが、
現代のうな丼に近い形だと思われます。

江戸時代にはすでに、うな丼は庶民の間で人気となり、
陶器や磁器、漆器の丼を使って出されていたようです。

明治時代に入り、それまで地焼き(焼くのみ)だったかば焼きから、
焼く工程で蒸す方法が取り入れられ、
かば焼きがやわらかくなったことで、ご飯の上にのせるスタイルが確立、
その後、さらに見栄えよくお重に入れたものが登場し、
人気になって『うな重』となったそうです。

お重が使われるようになった由来は、他にも説があります。
うなぎ飯が冷めないように重箱を3段重ねにし、
上下のお重にお湯を入れて、真ん中のお重に入れたうなぎ飯を保温したという説です。
お重に入れたうなぎ飯は、その辺りからも、
丼よりも高級なものとして認識されていったとみられます」

Q.うな丼、うな重の違いは何でしょうか。
丼に入っているか、お重に入っているかの違いだけですか。

関口さん「お店によっては両方のメニューがあり、
違いは丼に入っているか、お重に入っているかという、
器だけの違いというところもあります。
中には、丼のご飯にたれを絡ませたり、
刻んだかば焼きとたれをご飯に絡ませた
『ひつまぶし』のようなご飯を使ったりするところもありますが、
多くはおわんや漬物など、付属の品数が違っている程度のようです」

Q.うな重の方が、うな丼よりも値段がかなり高いことがあります。
なぜ、このような差が出るのでしょうか。

関口さん「うな重は、うな丼よりもうなぎの量を多くしていることで、
値段が高く設定されていることが多いです。
丼よりもお重の方がサイズが大きく、
うな丼と同じ量のうなぎを入れたのでは、
隙間が多くて見栄えが悪くなってしまうためです。
それが値段にも反映されているようです。
その他にも、付け合わせや小鉢、汁物などの
品数が違うことで値段に開きがあるようです」

Q.うな丼、うな重には「松竹梅」「並・上・特上」
などのランク付けがあります。
こうしたランク付けにより、それぞれ何が異なるのでしょうか。

関口さん「お店によっても違いますが、一般的には、
うなぎの量や大きさ、養殖か天然かの違いで決められています」

Q.うな丼、うな重の両方が食べられるお店では何を基準にして、
うな丼か、うな重かを選べばよいのでしょうか。

関口さん「うな丼は、うなぎを使う量が一番少なく、
値段の設定もお手頃感があるため、
所持金の都合で選べばよいと思います。
うな丼をお昼だけ提供するなど、
お店も集客を考えたメニュー構成にしている場合があり、
結果的にあまり大差ないこともあるようです。

お店で使うたれやご飯は丼もお重も同じなので、
その店の味わいを楽しみながらお手頃感で選ぶなら、
うな丼がおすすめです。

一方で『土用の丑の日くらいは奮発したい』ということであれば、
うな重を注文してもよいのではないでしょうか」

ーーーーー以上ーーーーー

今日実はランチに食べに行こうと思い
神戸周辺の鰻屋さんを検索していたのですが
鰻重とうな丼のメニューがあり違いがわからなかったので
この記事を読んで学習できました!

なるほど!

となればうな丼の方がお得な気がするので
うな丼でもよいのでは?と思ってしまいました。

うなぎなんて年に1回食べるか食べないかぐらいの食材なので
だからゆえに今日のようにうなぎを食べる日であれば
鰻重でもよいのかなと思ったりはしますが
別にうなぎが食べれれば少なくても多くてもどちらでもよいような(笑)

しかしよく考えてみたら今日は30度越え!
ランチタイムに炎天下の中外で待つのもかなりの嫌悪刺激!!

なので別日にゆっくり堪能したいと思います(笑)

昨夜に買っておいた手巻き寿司セットの中に
うなぎがちょっと入っていたので
今日はそれでよしとします(笑)

と思っていたところに静岡県より鰻重の写真が送られてきて
よだれを垂らしながら近い日に鰻重またはうな丼を
食べに行く日を想像しています(笑)

| たべもの | 13:59 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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納豆:混ぜてから入れるvs入れてから混ぜる

納豆もご飯がすすむアイテムとしては
トップ10に入っています!

匂い、ネバネバ感、味とまあ独特ではありまが
欧米人や関西人は苦手な人が多いようです!

さてこの納豆ですが
上村はまず付属品のカラシと醤油(またはタレ)を入れて
さらにカラシと醤油を足してからまぜまぜします。
そしてネギ(できれば白ネギ)を入れてまたまぜまぜして完成!

たまにごま油に七味唐辛子を入れたりしますが
これはこれで美味しいのです!

本来は

「混ぜてから入れる」

が正しい食べ方のようです!

皆さんは
混ぜてから入れる派

または

入れてから混ぜる派

どちらですか?

まあどちらでも美味しいと思います(笑)

最近ほぼ毎日納豆食べてます。

| たべもの | 17:00 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

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