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カネミ油症

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180624-00000006-nagasaki-l42
より全文抜粋


「安か油」を購入したのが全ての始まりだった。
 1968(昭和43)年春。当時29歳の松本正江(79)=仮名=は、
長崎県五島市内の小集落に、漁師の夫と3人息子の家族5人で暮らしていた。

巻き網船に乗る夫は海に出ている期間が長く、
正江は子育ての傍ら、1人で畑を耕し、野菜を育てた。
近くに住む義父母の食事作りも役目だった。

そのころ、商店を営む親戚から格安で食用油を購入した。
「一升瓶10本が入る木箱を3ケース。1本当たり30円安かった」。
裕福とは言えない生活。
油は日本酒や焼酎の空き瓶に移し替えられていて、
どんな会社の油か分からなかったが、安価なのは助かった。

 「あんたのとこ安か油のあっとね。分けてくれんかな」。
すぐにうわさが広まった。
正江は親戚や近所の人に油を配った。
 「どうも変な油だった」。
加熱するとブクブクと泡が出る。
ねっとりして、すり身や天ぷらがカラッと揚がらない。
「おかしい」と話題になった。
正江は近くの店で別の油を買い、混ぜて使った。
結局、義父母を含め、家族で一升瓶3本分の油を消費した。

その年の夏。家族と義父母の体に、
大小さまざまな吹き出物ができた。
正江は首やふくらはぎ、夫は背中、子どもたちは頭皮に強く症状が現れた。
頭痛、腹痛、手足のしびれに襲われ血尿も。
慌てて息子たちを病院に連れて行ったが、
飲み薬と塗り薬を処方されただけだった。

数カ月後、通っていた病院の医師が言った。
「あなたたちはカネミライスオイルを食べていないか」。
医師によると「毒の入った油」が五島で出回っているという。
言われるまま、役場で子どもと検診を受けたが原因は不明。
症状に苦しみながら歳月が流れた。

検診を5、6回受診した後の75(昭和50)年、
息子3人は「カネミ油症」と認定された。
油を食べて7年。
正江はあの油が原因だったとようやく理解した。

夫は漁が忙しく検診を受けていなかったが、
弁当には頻繁にすり身揚げや天ぷらなどの揚げ物を入れていて、
家族で最も多く油を食べているはずだった。
「お父さんも受けたら」。検診を勧めると、夫は突然怒鳴った。
「おまえがそがん油を買うけん悪か!」。
普段は温厚な夫の怒りに、正江は動揺した。
 
「買った私が悪か。でも悪い油と知って食べさせたんじゃない。ごめんね、許して」。
正江は畑で一人泣いた。
毒入りの家庭料理を食べさせ続けた悔恨。
妻として母として、気が狂いそうだった。
 
正江が、家族とカネミライスオイルを食べてから8年がたった1976(昭和51)年、
検診を渋っていた漁師の夫を何とか説得。
翌年、夫は正江と共に油症認定された。

夫は高血圧症を患い、薬を手放せなくなっていたが、弱音をはかない性格。
頭痛や下痢でつらくても、生活のため漁に出ていた。
夫の背中は、大きい吹き出物が無数にあり、
肌着は膿(うみ)でいつも黄色く汚れていた。

次男は、症状が重かった。
小学生のころは朝布団から起き上がれないほど。
体を抱えてトイレに連れて行くと、血の混じった尿が出た。
入退院を繰り返し、学校も休みがちで、ふさぎ込んだ。
体調は季節や天候に左右され、梅雨や秋口に悪化した。

正江自身も当初から吹き出物と血尿、
年齢を重ねると自律神経の乱れから目まいや吐き気、
食欲不振など多様な症状に襲われた。
特に悲しかったのは、30代で計7回も経験した流産。
生理不順かと思っていると、突然出血。
驚いて受診すると流産だと告げられた。
出血があると入院し処置を受け、自宅に帰る。
この繰り返しだった。

7回目の流産の後、医師が言った。
「このまま流産を繰り返すと、貧血で体が危ない」。
夫も交えて話し合い、卵巣を摘出。
ずっと女の子を望んでいたが、諦めるしかなかった。

差別も家族を追い詰めた。
集落の母親たちはわが子に「あの家で食べ物をもらっても食うな」と言い、
正江の息子たちはのけ者にされた。
ただ正江が油を配った親戚や近所の人は押し黙り、
油を食べたことや自らの症状もひた隠しにした。
「田舎の習慣というかね。人聞きの悪いことは隠そう隠そうとした」。
義父母も決して検診を受けようとしなかった。
被害者は皆、口をつぐみ、孤立していた。

85(昭和60)年、47歳になった正江は、
毒油を売ったカネミ倉庫や原因物質ポリ塩化ビフェニール(PCB)を作ったカネカ、
国の責任を問う集団訴訟に第5陣原告として加わった。

夫と共に救済や謝罪を求め、東京や千葉などで窮状を訴える抗議行動にも参加。
だが2年後、責任の所在が判然としないままカネミ倉庫と和解。
わずかなお金を受け取って終わった。

2004(平成16)年、正江は知り合いに頼まれ、
体験や思いをA4サイズの紙2枚に書き、
五島市内の被害者集会で読み上げた

。「36年という年月は、私たち家族には長く、
心身共に不安におびえ、苦しい苦しい毎日です。
私たちを助けてください」

カネミ油症は、健康な体も幸せだった家庭もずたずたにした。
数十年続く目まいや体のだるさ。
ここ数年は不整脈や腰痛で散歩すら満足にできない。
一日中起き上がれないこともある。
連れ添った夫は13年前、膵臓(すいぞう)がんで亡くなった。

正江は今も思う。「なぜ、私たち家族はここまで苦しまなければいけないのか」と。

◎カネミ油症

カネミ倉庫(北九州市)が食用米ぬか油を製造中、
熱媒体のカネカ製ポリ塩化ビフェニール(PCB)が混入し
一部はダイオキシン類に変化。
長崎県など西日本一帯で販売され被害を広げた。
1968年10月、新聞報道で発覚。
当初約1万4千人が被害を届け出た。
2018年3月末の認定患者数は全国で2322人(死亡者含む)、
長崎県964人(死亡、転居含む)。

ーーーーー以上ーーーーー

これは買った人たちが悪いんじゃない!
製造過程に問題があった。

この症状を一生引きずって生きている方々は
本当に辛い毎日を送られていると思う。

今の時代でも耐震詐欺や隠蔽など
色々なことで悩まされている人たちがいる
犠牲になる人たちがいる。

被害のない安全なものを作って欲しいと思う。

消費者は分からずに安心して使っているのだから。

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