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BEC代表の上村裕章が日々想うことを綴っていきます☆

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デニーズ1号店 閉店

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170318-00000016-mai-bus_all
より全文抜粋


◇1974年オープン横浜港南区の上大岡店 
ファミレスの先駆け

日本の外食文化の先駆けとなった
ファミリーレストラン・デニーズの1号店
「デニーズ上大岡店」(横浜市港南区)が20日、閉店する。

1974年のオープン当時は、
扉を開ければ席まで案内してくれるウエートレスに、
オープンキッチンやカウンター席といった
アメリカンスタイルが目新しく、話題を呼んだ。
店には連日、常連客や関係者が訪れ、
別れを惜しんでいる。

「あの時のおばあちゃんが、今では自分」。
16日朝、豊島美知子さん(67)は、
テーブルを囲む息子夫婦と孫娘の姿に目を細めた。
オープンのころから、両親や夫、
まだ小さかった息子の直(なおき)さん(35)と
3世代でよく店に訪れた。
その直さんが今、4代目となる孫も連れてくる。
「今も昔も思い出の場所。なくなるのは寂しい」と惜しんだ。

デニーズは米全土に展開する
大手レストランチェーンとして日本に来た。
上大岡店はショッピングセンター
「イトーヨーカドー上大岡店」内に開店。
県道そばで、屋上に駐車場を備える店舗は、
車社会が浸透する中で、家族連れが気軽に入れる
レストランの出発点として期待された。
「アメリカのデニーズをそのままに」をコンセプトに、
オープンキッチンや赤じゅうたん、
テラスやソファ席と内装にこだわった。

さまざまな外食文化も日本にもたらした。
玄関口で客を出迎え、席まで案内するデニーズレディー、
おかわり自由のコーヒー、10種21通りに注文できる
卵料理や好みの焼き方が選べる肉料理--。
デニーズ勤務37年の山口隆雄店長(59)は
「じゅうたんを見て、入り口でぞうりを脱いでしまうおばあちゃんや、
コーヒーのおかわりを阻止しようとカップを手で隠す方もいたらしいです」とほほ笑む。

店にはかつての従業員も大勢訪れる。
「最先端だったけれど、研修では『雰囲気を大切にしましょう』と習ったんだよ」。
約40年前に1号店で研修を受けた相模原市の横尾俊行さん(69)は
「外食だけど、ホームパーティーのような、
家族が家でくつろぐあたたかな食卓を再現しようとした」と振り返る。
暗記した接客や心得などの「デニーズテスト」を仲間と出し合い、
思い出話に花を咲かせた。

デニーズを運営するセブン&アイ・フードシステムズの元社長、塙昭彦さん(75)も来店。
「ここはデニーズ発祥の地。木材もアメリカから持ってきた」と懐かしんだ。

山口店長は「常連さんから『家族でいつも来ていたのよ』などと声をかけられると、
うれしさと寂しさで涙がこぼれそうになる」と話す。
17年勤めた従業員の及川真由美さん(49)も
「今も町内会や婦人会の憩いの場。
なくなってしまうのはショックすぎて言葉にならない」という。

新しい「接客」へ 別れの時は近づきつつある。
山口店長は「昔は接客重視でお客さんからチップをもらうこともあった。
今はスマートフォンを見つめ、接客を拒む人も増えた。
これからは新しいスタイルが必要なのかもしれない」と話した。


デニーズは私が人生初来店のファミレスで
横浜中華街では唯一のファミレスだっただけに
大好きだったところだった。

普段は家で食べない、でないハンバーグや
パフェを食べたのを覚えている。

それだけに1号店がなくなるのは残念だ。

今となっては日常的にファミレスにはいかなくなったが
子どもができたらきっとファミレスに行く頻度は
多くなるんだろうなと思う。

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